特進科ブログ

早朝勉強会1日目~名張本校~

今日から名張中学校の1・2年生が学年末テストですね。
名張本校でも
『朝一から最後の勉強をしてから、テストに臨みたい!!blush
という生徒のために早朝勉強会を実施しています。

今日も早朝6時30分からたくさんの生徒が最後の詰めを頑張ってくれていましたね!
今日は主要5科目のうち、1年生は数学のみ、2年生は国語のみですので
1科目じっくり対策をしてくれていました。
中には、副教科の体育や美術の暗記の確認をしている生徒もいて
副教科までぬかりは無さそうだなと感じましたよlaugh

室内で勉強するにはもったいないぐらい晴れていますが、
今日のテストをがんばる!

明日のテスト勉強をがんばる!!

明日のテストをがんばる!!!

明後日のテスト勉強をがんばる!!!!

明後日のテストをがんばる!!!!!

というように室内での勉強漬けの3日間にして下さいね。
最後までがんばれ!!!!!!
カテゴリー: 

歴史の小路 No.55 ~ 小野妹子② ~





今回は、小野妹子の子孫について見てみましょう。

小野妹子の子孫には、第19回遣唐使・副使となった小野篁(おののたかむら)、書の達人の三蹟(さんせき)・小野道風(おののとうふう)、絶世の美女と伝わる六歌仙(ろっかせん)・小野小町(おののこまち)などがいます。

参議(さんぎ)・・・太政官の官職名で、太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣・大納言・中納言に次ぐ官職。

三蹟(さんせき)・・・平安時代の「書の達人」で、小野道風(おののとうふう)・藤原佐理(ふじわらのすけまさ)・藤原行成(ふじわらのゆきなり)の三人をさします。

六歌仙(ろっかせん)・・・平安時代に紀貫之(きのつらゆき)が編纂(へんさん)した古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人のことで、小野小町の他、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、大伴黒主(おおとものくろぬし)の六人をさします。



篁(たかむら)神社

小野篁(おののたかむら)
第19回・遣唐使(けんとうし)の副使に任ぜられますが、渡航に二度失敗し(836年・837年)、三度目(838年)は損傷した船に乗るはめになったため、唐への渡航を拒否って、遣唐使ひいては朝廷をディスる超絶技巧の漢詩『西道謡』(※現存しません)を詠んだことで、隠岐(おき)へ島流しとなりました。

島流しされるときに詠んだ和歌が『百人一首』に選定されています。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟  参議篁(さんぎ・たかむら)

のちに赦免(しゃめん)され、優れた文才の人物であったため、最終的には参議に任ぜられ、太政官(だじょうかん)の最高幹部である公卿(くぎょう) の一人となりました。

ところで、三大説話集の一つ、『今昔物語集』巻二十「小野篁、情によりて西三条の大臣を助けたる語」には、地獄の裁判長官である閻魔(えんま)大王の補佐(ほさ)をしている篁(たかむら)の話がでてきます。
http://www.rokudou.jp/legend/takamura.html


https://www.google.com/search?q=%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%AF%81%E3%80%81%E6%83%85%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E3%81%A6%E8%A5%BF%E4%B8%89%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%82%92%E5%8A%A9%E3%81%91%E3%81%9F%E3%82%8B%E8%AA%9E&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox-b



小野小町(おののこまち)

百人一首』に選定されている小野小町の有名な和歌

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに







道風(とうふう)神社

国宝「円珍贈法印大和尚位並智証大師謚号勅書」小野道風
(
えんちんぞうほういんだいわじょういならびにちしょうだいししごうちょくしょ)
http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_429.jpg
http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_C0035555.jpg





小野道風にまつわる有名な逸話が「柳と蛙の逸話」です。
http://hukumusume.com/douwa/new/2012/06/15.htm

花札の絵柄にもなっています。
https://www.google.com/search?client=firefox-b&biw=1366&bih=631&tbm=isch&sa=1&ei=P0dxXMXCLIWIr7wPwfCd-Ao&q=%E6%9F%B3%E3%81%A8%E8%9B%99%E3%81%AE%E9%80%B8%E8%A9%B1%E3%80%80%E8%8A%B1%E6%9C%AD&oq=%E6%9F%B3%E3%81%A8%E8%9B%99%E3%81%AE%E9%80%B8%E8%A9%B1%E3%80%80%E8%8A%B1%E6%9C%AD&gs_l=img.3...14184.23159..23681...9.0..0.504.4165.0j13j6j0j1j1......0....1..gws-wiz-img.Km1bWD-iIS0




前回述べたように、小野氏は和珥(わに、和邇)氏一族の春日氏の流れをくむ氏族ですが、『万葉集』に和歌を残す柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)や『貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)』で知られる山上憶良(やまのうえのおくら)なども春日氏の分流になります。

春日氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01203.htm#001



百人一首』に選定されている柿本人麻呂の和歌
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む


万葉集』に収録されている山上憶良の和歌
(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝(まさ)れる宝 子にしかめやも


このように、和珥(わに、和邇)氏一族の春日氏を共通祖先とする小野氏、柿本氏、山上氏には歴史上有名な文化人が多いという特色があります。


ところで、華道家元・池坊(いけのぼう)氏は小野妹子十二世孫・池坊専慶の後裔と伝えられ、小野妹子は華道の祖とされることもあります。
https://www.ikenobo.jp/info/17345





 
校舎: 
カテゴリー: 

入試対策講座3rd3日目!!

今日は入試対策講座の3rdステージの3日目が行われました。僕が担当した社会では、入試で出る大事なポイントを解説していきました。
今日の授業で出てきたポイントは、入試でも出る可能性が高いので、しっかりと覚えておきましょう。来週がいよいよ最終日です。最終日は、今までよりも高い点数を出せるように頑張ってくださいね!!
カテゴリー: 

歴史の小路 No.55 ~ 小野妹子① ~





今回は、遣隋使(けんずいし)として知られる小野妹子(おののいもこ)です。「妹子」という名前から、「最初、女性だと思っていた」という生徒も多いようです。

まず「」について、現在では姉(あね)に対する妹(いもうと)という意味でとらえていますが、『万葉集』に収録されている和歌では「妹(いも)」は男性から女性(妻・恋人・姉妹など)に対して親しみをこめて呼ぶ語とされます。古典の授業で学ぶことなので、知っている人も多いでしょう。三島由紀夫『潮騒』の契機になった柿本人麻呂の和歌「潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ舟に乗るらむか 荒き島廻を」にも「妹」が詠まれています。なぜ、男性名に「妹」が使われたのかよくわかっていません。憶測ですが、小野妹子の子孫には小野小町がいて、一族の和珥(わに、和邇)・春日氏は天皇の后妃をたくさん輩出している家系です。もしかしたら、生まれたとき、妹子は女の子のように可愛らしかったから「妹子」と名付けられたのかもしれません。

次に「」ですが、「子」は奈良時代以降になると主に女性の名につけるようになったそうで、それまでは男性の名にも「子」がつけられていました。例えば、飛鳥時代、小野妹子以外にも聖徳太子と協力して政治を行った蘇我馬子(そがのうまこ)がいます。また、藤原氏の祖で、大化の改新で知られる中臣鎌足 (なかとみのかまたり) も初め頃は中臣鎌子(なかとみのかまこ)と名乗っていたそうです。



和珥(わに、和邇)・春日氏は、雄略・仁賢・継体・欽明天皇の后妃のほか、
応神(おうじん)・反正(はんぜい)・敏達(びだつ)天皇などの后妃にもなっています。

古代の歴代天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87

和珥(わに、和邇)氏の本拠地は、奈良県天理市和爾(わに)町で、
和珥氏一族の春日氏の本拠地は、奈良の春日山山麓の春日です。




小野神社(滋賀県大津市小野)


小野妹子は、小野氏の氏神を祀る小野神社が位置する近江国滋賀郡小野村(現:滋賀県大津市小野)の豪族の出自とされます。小野神社を北上すると、和邇(わに)、蓬莱山(ほうらいさん)、志賀(しが)、安曇川(あどがわ)など古代史に関連する興味深い地名があります。

滋賀県大津市小野
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.1883151,135.8052682,79247m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x0:0x56ab822c6d667ce1!8m2!3d35.1533282!4d135.9198073?hl=ja&dcr=0

小野神社の周辺は、大津市に編入されるまでは滋賀県滋賀郡志賀町といいました。それ以前は和邇(わに)村で、さらに時代を遡ると小野村でした(小野村・和邇中村・今宿村・高城村・南浜村・中浜村・北浜村・栗原村が合併し和邇村となる → 和邇村・木戸村・小松村が合併して志賀町となる → 大津市に編入されて大津市小野となる)。近くには蓬莱山(ほうらいさん)があり、少し北上すると安曇川(あどがわ)があります。

志賀」という地名は、江戸時代に「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印が発見された博多湾・志賀島(しかのしま)を由来とし、志賀島には海神・綿津見(ワタツミ、綿積豊玉彦)命を祖とする海人族・安曇(あづみ)氏の氏神である志賀海神社が存在します。

安曇(あづみ)氏・・・古代の有力氏族、海人族。渥美(あつみ)半島、安曇(あづみ)野、熱海(あたみ)などの地名の由来となりました。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02127.htm

滋賀(しが)・・・滋賀県の「滋賀」は滋賀郡の「滋賀」に由来し、『万葉集』では「滋賀」は「志賀」などで表記されていたようです。「滋賀」の由来は「志賀」ではないかという考えもあります。

蓬莱山(ほうらいさん)・・・中国最古の地理書『山海経』には「蓬莱山は海中にあり、大人の市は海中にあり」と記されています。また、司馬遷(しばせん)『史記(しき)』には、徐福(じょふく)が秦の始皇帝(しこうてい)に「東方の三神山[蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)]に不老不死の霊薬があると進言し、始皇帝の命令をうけて、3000人の若い男女と多くの技術者とともに五穀の種を持って東方に船出し、広い平原と湿地を得て、その地で王となり戻らなかった」との記述があり、日本各地で徐福伝説が語り継がれています。かぐや姫が登場する『竹取物語』にも「東の海に蓬莱という山あるなり」と記されています。

和邇(わに)・・・小野氏は和珥(わに、和邇)氏の一族
和珥(わに、和邇)といえば、『古事記』の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」に登場する和邇(わに、)=ワニザメ(※諸説あり)のことが思い浮かびます。山陰地方の一部では、サメのことを「ワニ」と呼び、ワニ料理つまりサメ料理を食します。また、初代・神武(じんむ)天皇の祖父にあたる火遠理命(ホオリノミコト、=山幸彦)は、大綿津見神(オオワタツミ、綿積豊玉彦)の娘・豊玉姫神 (トヨタマヒメ)と結ばれ、豊玉姫神は八尋大熊(ヤヒロワニ ※1尋=約1.5m)の姿で出産します。海における食物連鎖の頂点に位置するサメ(=ワニ)は海人族のシンボルとも考えられることから、和珥(わに、和邇)氏の先祖と航海術にたけた海人族との関係を指摘する説もあります。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01203.htm#001

http://www.syoei.ed.jp/blog/post/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E3%80%80no45%E3%80%80%EF%BD%9E-%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%85%8E-%EF%BD%9E





古事記』によれば、小野氏一族の祖である天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと、第5代天皇・孝昭天皇の第一皇子)は安濃・伊勢・飯南・一志などの国造(くにのみやつこ)の祖とされ、ここに三重県各地の地名が見られ、小野妹子の祖先とつながる和珥(わに、和邇)氏一族は、古代・伊勢国の豪族とも関係が深いことがわかります。

たとえば、日本最大級の船形埴輪(ふながたはにわ)が出土した宝塚古墳(松阪市、旧:飯高郡→飯南郡)の被葬者と伝わる乙加豆知(オトカズチ)命は天足彦国押人命を祖とする和珥(わに、和邇)氏と同族で、父は乙国葺命(おとくにふくのみこと)といい、後裔は伊勢国飯高郡を本拠地としました。ここにおいても、和珥(わに、和邇)一族と海とのつながりを垣間見ることができます。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01203.htm




乙加豆知(オトカズチ)命の後裔である飯高氏一族は、平安時代 (885年)、現在の多気郡多気町長谷(旧:伊勢国多気郡佐奈村)に位置する城山に近長谷寺(きんちょうこくじ)を建立します。近長谷寺のHPには「飯高氏は奈良時代、四代の天皇(元正・聖武・孝謙・淳仁)に仕えた妥女(うねめ)・飯高諸高(いいたかのもろたか)を送り出した豪族で、諸高は性甚謙謹・志慕貞潔・典従三位を賜り、宝亀八年(777年)八十歳で奈保山に葬られるまで、多気郡勢和村丹生から産出する水銀で富を築き上げた。」と書かれています。

近長谷寺(きんちょうこくじ)
http://www.ma.mctv.ne.jp/~jr2uat/temple/history.html

飯高諸高(いいたかのもろたか)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E9%AB%98%E8%AB%B8%E9%AB%98

この近長谷寺に、紫式部源氏物語』に登場する「六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)」のモデルとされる人物が訪れています。三大和歌集の一つ『古今和歌集』編纂の勅命を出した醍醐(だいご)天皇の皇孫で、三十六歌仙の一人である徽子女王(徽子斎王)が近長谷寺を訪れた事実として「白玉(真珠)壱丸施入」と、近長谷寺の資材帳に記されています。

徽子(きしorよしこ)女王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%BD%E5%AD%90%E5%A5%B3%E7%8E%8B





 
校舎: 
カテゴリー: 

第63回ショーエックホームズに挑戦~つつじが丘校からの挑戦状~

第63回「つつじが丘校からの挑戦状」


2月に入り新年が始まって早1か月ですね!
小学生は次の学年へ向けての準備、中学生は学年末テストや高校入試で大忙しの2月です。いつもの月よりも日数も少ないので、ぼーっとしているとあっという間に3月がやってきます。毎日悔いが残らないよう、全力で頑張っていきましょう^^
(もちろん風邪にも気をつけてね!!)

<前回クイズの当選者発表>
抽選の結果、前回クイズの当選者は次の皆さんです。
おめでとうございます!

岸本 宗大くん  (特進科・小6)
I・Cさん    (城下町校)
宮﨑 玲衣さん  (特進科・小5)
木寺 乃敏くん  (桔梗が丘校・中3)
松﨑 高大くん  (名張本校・中3)
T・Tくん     (特進科)


<前回のクイズ>
下の図のように、正方形の形に並んだ9個の点があります。
この9個の点のうち4個を通る円は、全部で何個かけるでしょう。



<前回のクイズ解答>
下の図のように、全部で14個です。


では、今回のクイズを出題します。
<今回のクイズ>
空の旅を楽しんでいると、機内サービスでまわってきたキャビンアテンダントが、ある物を渡してくれた。
「上空で機体が揺れますが、これはひっくり返しても問題ありませんので」
彼女がくれたのは次の3つのうちどれでしょう。



①お飲み物
②お食事
③お菓子




さあみんな、練木先生からの挑戦をはねのけて、どんどん応募してください。
今回の締め切りは、2月20日(水)中です。


応募はこちらから!

<ヒント>
それぞれのものを色々な表記で書いてみよう。



というわけで、次回「クイズ 名探偵ショーエック・ホームズに挑戦」は、桔梗が丘校の秋山先生が3月1日からの1週間の間でアップします。
お楽しみに!
 
カテゴリー: 

中学入試合格速報 2019 確定版【補訂】  




第一志望校、全員合格おめでとう!!



四天王寺 2名


奈良学園 7名


高田中学 6名(合格率 85.7%)


※今年度の特進科在籍者12名の実績です






 
校舎: 
カテゴリー: 

歴史の小路 No.54 ~ 六波羅② ~



六波羅蜜寺(ろくはらみつじ) [京都市東山区]


六波羅探題があった場所に位置する
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)という名称は、仏教の六波羅蜜に由来しますが、
六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、仏教における悟りの境地に到る六つの修行のことです。


六波羅蜜(ろくはらみつ)
①布施(ふせ)・・・・・・見返りを求めない施しをすること
 ・財施(ざいせ)・・・・金品を施す、寄付、喜捨 ※イスラム教では「ザカート」
 ・法施(ほうせ)・・・・知識や知恵を教える
 ・無畏施(むいせ)・・・病人などの恐れや不安や悩みを取り除き安心を与える
 ・無財の七施(むざいのしちせ)
   眼施(がんせ)・・・優しい眼差し
   和顔施(わがんせ)・和顔で接する
   言辞施(ごんじせ)・愛語、優しい言葉をかける
   身施(しんせ)・・・身をもって助ける(例えば、被災地でボランティアなど)
   心施(しんせ)・・・思いやりの心
   床座施(しょうざせ)電車やバスなどで席や場所を譲る
   房舎施(ぼうじゃせ)被災者などに自分の家を提供する
②持戒(じかい)・・・・・自戒の念を持ち、規則を守ること
③忍辱(にんにく)・・・・耐え忍ぶこと
④精進(しょうじん)・・・努力すること
⑤禅定(ぜんじょう)・・・精神を統一すること
⑥智慧(ちえ)・・・・・・真理を見極めること


仏教の多くの宗派で唱えられる般若心経(はんにゃしんぎょう)は、
般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)の略称ですが、
般若(はんにゃ)」とは、「知恵」
波羅蜜多(はらみた)」とは、「悟りの境地に至ること
    ※サンスクリットでは「पारमिता(パーラミター)
心経(しんぎょう)」とは、「精髄のお経」
という意味です。


親鸞(しんらん)聖人が開祖の浄土真宗(じょうどしんしゅう)は『浄土三部経[無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経]』を根本経典とし、日蓮(にちれん)上人の日蓮宗(法華宗:ほっけしゅう)は『法華経(妙法蓮華経:みょうほうれんげきょう)』を根本経典とし、浄土真宗と日蓮宗は『般若心経』を唱えないそうですが、伝教大師・最澄(さいちょう)開祖の天台宗(てんだいしゅう)、弘法大師・空海(くうかい)開祖の真言宗(しんごんしゅう)、禅宗(ぜんしゅう)の栄西(えいさい)禅師開祖の臨済宗(りんざいしゅう)、道元(どうげん)禅師開祖の曹洞宗(そうとうしゅう)など多くの宗派で『般若心経』すなわち『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみたしんぎょう)』が唱えられているそうです。









  平清盛公乃塚(平清盛公の塚)       阿古屋(あこや)塚(五条坂の白拍子、阿古屋の塚)
                     ※悪七兵衛景清(藤原景清、平景清)の思い人
                     「悪」は悪人という意味ではなく、勇猛という意味


悪七兵衛景清(藤原景清、平景清)が落ち延びてきたと伝わる兵庫県豊岡市竹野町田久日
http://www.syoei.ed.jp/blog/post/%E5%85%A5%E8%A9%A6%E9%A0%BB%E5%87%BA%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%80%80no130

忠盛塚(平氏発祥伝説地)・・・平清盛の父で、平家繁栄の礎を築いた平忠盛(たいらのただもり)の塚
http://www.syoei.ed.jp/blog/post/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E3%80%80no21%E3%80%80%EF%BD%9E%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B%E3%81%AE%E7%88%B6%E3%80%81%E5%BF%A0%E7%9B%9B%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%AD%9A%E4%BC%9D%E8%AA%AC%EF%BD%9E

厳島(いつくしま)神社・・・平家の氏神
http://www.syoei.ed.jp/blog/post/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E3%80%80no20%E3%80%80%EF%BD%9E%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BD%9E



※平氏のなかでも、伊勢平氏の平清盛とその一族を特に「平家」と呼ぶ
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01100.htm#001




 
校舎: 
カテゴリー: 

歴史の小路 No.54 ~ 六波羅① ~



「此附近 平氏六波羅 六波羅探題」と刻まれた石碑
(この付近 平氏六波羅 六波羅探題)


六波羅」と聞いて、まず思い浮かべるのは「六波羅探題」でしょう。六波羅探題とは、言うまでもないですが、鎌倉時代の1221年承久の乱(じょうきゅうのらん)後に、京都の朝廷や西国の御家人を監視するために京都に置かれた鎌倉幕府の役所です。この場所は、平安時代中期の951年、空也(くうや)によって六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)が開基され、平安時代末期に平家一門の屋敷が数多(あまた)あった場所です。現在、六波羅蜜寺の境内(けいだい)には「此附近 平氏六波羅 六波羅探題」と刻まれた石碑(せきひ)が立っています。

承久の乱 (じょうきゅうのらん)・・・1221年、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が鎌倉幕府に対して起こした反乱。尼将軍こと北条政子(ほうじょうまさこ)が東国の御家人たちを結束させることで、鎌倉幕府は勝利し、後鳥羽上皇は隠岐(おき)へ島流しとなる。

空也上人(くうやしょうにん)・・・平安時代中期、井(しせい、町なか)で庶民に浄土教(じょうどきょう)を広めた高僧(上人、人)ゆえ、市聖(いちのひじり)と呼ばれる。

・六波羅探題があった位置
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%85%AD%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C%E5%AF%BA/@34.9971067,135.7383345,13z/data=!4m5!3m4!1s0x600108cc60ef250f:0xa145712334ef4e9e!8m2!3d34.9971067!4d135.7733534?dcr=0

・平安京との位置関係
http://www.syoei.ed.jp/blog/post/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E3%80%80no44%E3%80%80%EF%BD%9E-%E5%B9%B3%E5%AE%89%E4%BA%AC-%EF%BD%9E




さて、ここで漢字の知識を広げてみましょう。

漢字という文字は、英語のアルファベットのように表音文字(音=読みを表す文字)の要素のほかに、アラビア数字のように表意文字(意=意味を表す文字)の要素をあわせもつ表語文字(ひょうごもじ)です。

」という漢字には、豊臣秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい、じゅらくてい)からもわかるように、大きな屋敷という意味があり、「平氏六波羅第」とは「平氏が居住する六波羅(ここでは地名)の大きな屋敷」と理解すればよいでしょう。昔の中国の官僚登用試験である科挙(かきょ)や戦前の日本の試験では、合格点を及第点(きゅうだいてん)としていましたが、試験に合格すれば「第に及ぶ」=「大きな屋敷に達する」=「大きな屋敷で働くことができる」というのがもともとの意味です。

」には、国府や政府からわかるように、政(まつりごと)を行う所、「役所」という意味があります。したがって、「六波羅探題府」とは「六波羅探題という役所」と考えればよいでしょう。明治から戦前にかけては、東京都も東京府でした。


今となってはもう昔のことですが、琵琶法師(びわほうし)によって語り継がれたという軍記物語の『平家物語』を読むと「六波羅殿」と出てきます。六波羅殿とは、1167年(清盛はいい胸だじょう)に武士で初めて太政大臣となった平清盛(たいらのきよもり)のことですが、平安時代、六波羅蜜寺の周辺は平家の拠点になっていて、平家一門の屋敷が数多(かずおお)くあったということです。





左:平清盛坐像
右:空也上人立像

平清盛
桓武(かんむ)天皇を祖とする桓武平氏の流れをくむ武士団の棟梁(とうりょう)で、
平安時代後期の1156年に保元の乱で上皇方を破り、1159年に平治の乱で源義朝を破って、
1167年に武士で初めて太政大臣にのぼりつめた人物。


1156年(いい頃) 保元の乱で、後白河(ごしらかわ)天皇方につき、崇徳(すとく)上皇方を破る
1159年(いい刻) 平治の乱で、源義朝(みなもとのよしとも、源頼朝・義経の父)を破る
1167年(いい胸毛) 武士で初めて太政大臣となる
1181年1月15日 南都焼き討ち(奈良の東大寺、興福寺などを焼く)
1181年3月20日 高熱を発し、あまりの熱さに悶絶(もんぜつ)して死す

空也上人立像
口から出ている魂のようなものは、6体の阿弥陀仏(あみだぶつ)で、
(な)・(む)・(あ)・(み)・(だ)・(ぶつ)」を視覚化したもの。


どちらも歴史の資料集などで、ご覧になったことがある人も多いでしょう。





 
校舎: 
カテゴリー: 

嬉しい知らせが舞い込む

昨日、特進科のAさんから嬉しい知らせが届きました。


「西大和学園高校に合格しました!!!」


西大和学園高校と言えば、関西では屈指の進学校。

昨年度は東京大学に30名、京都大学に57名が進学し、国公立医学部医学科には58名が進学しています。



そんな最難関高校への進学を夢見てずっと頑張ってきたAさん、本当におめでとう!!!

これからも頑張り続けてくださいね。
校舎: 
カテゴリー: 

昨日は漢字検定!

昨日は第三回漢字検定の実施日でした!

今回も80名以上の小中学生が受検してくれており、
年度最後の漢検に向けて頑張ってきてくれました。

テスト前は直前まで勉強し、
テストが終わると安堵の表情を浮かべる子もいましたね^^

結果は約1か月後となりますので、楽しみに待っていてくださいね♪
 
カテゴリー: 

ページ

Subscribe to ブログ